朝もやの里12か月③ 川のカゲロウ

暗闇のなかを一筋の光となって列車が走る。ローカル線のJR水郡線(茨城県水戸駅=福島県郡山駅)である。山影を走るときは漆黒の闇だが、時折見える人家の光は星の瞬きとしか思えない。星から星の綱渡り。21時頃の最終列車のリアル体感が特に好きだ。

 夕暮れに水戸から乗り込むと福島奥久慈の近津駅まで約2時間余。茨城県境から福島県に入ると列車内の客も少なくなるのが常だ。其々が座席に埋もれているせいか人の気配すら感じない。ガタゴト響く走行音と時折ポーッと唸る数種の警笛が、いつしか異次元へと誘う。まるで“銀河鉄道”だといつも想う。列車は、地球を離れた宇宙船だ。老子の書「タオ」(訳・加島祥造)が似合う路線だ。一節が浮かぶ。

「美しいと名のつくものは、汚いと名のつくものがあるおかげで美しいと呼ばれるんだ。お互いに片っぽだけじゃあり得ない。」

 ある時、通路側から片言の日本語で話しかけられた。「ナカ アカルイ ソト トテ

モクライ イイネ!」アジア系の青年。沿線の工場で働いていて、友人2人で休日を

楽しんできたという。「クジガワゲンリュウ ハシノソバ カゲロウ タクサン シン

デタ クニデミタノトイッショ!」と、言って席に戻った。異国で誰かに伝え

たかった出来事がカゲロウだったとは。互いに笑みを浮かべた。

ここは、朝もやの里だが秋晴れが続くと夕焼け空が美しい。刻々と色を変えながら暗く落ちていき、やがて橋桁の電灯に明かりが灯る。灯りを回り込むようにカゲロウ(蜉蝣)が飛来していた。ゴーッという音が聞こえるほどの大量発生だった。 翌朝行くと、季節外れの雪かと見まがう死骸と臭いにカルチャーショックを覚えた記憶がある。3億数千万年前から棲息しているが成虫の寿命が驚くほど短いカゲロウ。昆虫のなかで最初に翅(はね)を獲得した類と考えられているとも。文学的には、はかない命の代名詞。成虫は細長い体で、よわよわしい。前翅が大きく脚は華奢で細長く、特に前脚は長く発達している。口が退化しているためほとんど食事をしないで、繁殖のため飛び回り約5分しか生きられない種もあるという。よく見かけるオオシロカゲロウは2時間程度の生命。成虫となって1日も生きられない稀有な存在に、古今東西の精霊伝説と重ねてしまうことが時にある。英国の川で発達したフライ・フィッシングの疑似餌や毛ばりの模型となるカゲロウの美しさからの連想なのか、異文化のモノコトを取り入れながら楽しい妄想を育んでくれるのも、里山の光景なのかも知れない。

俳句誌『雛』2025年9月号転載