朝もやの里12か月② 蟻地獄

夜来の雨が上がり、干し竿にまるでガラス細工のような水滴が一直線に垂れている。遠く山並に目をやれば、龍のごとく這うように朝靄(あさもや)が天に昇っていく。自慢の里山の美しい光景だ。そうだ、「ジャガシラ山に行ってみよう、アリジゴクを見つけに」。
むかし、子供たちの残酷な遊びに“蟻地獄崩し”があった。中腹の松林が途切れるあたり、乾いた山砂にいくつかの小さなすり鉢状の穴が、まぶし気に口を開けていた。今年も来れたよ秘密基地。子どもたちは夕焼けの気配が感じられるまで遊ぶ。寺山館跡(別名蛇頭館/福島県)の遺構のある中世の山城でのことだ。
8月の日差しは、容赦なく額に玉の汗を噴きださせる。年長の従兄を先頭に、双子を混ぜた総勢6人の子どもたちがおにぎりと水筒を背に、山道を駆け登る。従兄妹たちだけで登るのが、例年の夏休みの約束事になっている。弁天社、細尾根を蛇行して伸びる堀底道、土塁、合戦に備えた“つぶて石”、尾根上を侵入する敵から場内を守る二重の堀切、本丸に入る桝形虎口(ますがたこぐち)、往時の家来たちの働きがスローモーションで迫ってきそうな平場の曲輪(くるわ)。「狼煙(のろし)台があって、あっという間に近圏の数か所の館へ伝令が飛んだ」と語っていた佐竹氏の末裔。乾燥させたオオカミの糞(ふん)を燃やし、青いスギの葉を使って合図の白い煙をあげたのだという。
戦国時代、白川氏により築城されたが、常陸国(現茨城県)側から北進する佐竹氏によって落城。その後は佐竹氏の城として白川氏・伊達氏に対する前線基地として使われ続け、最終的には天正18年、豊臣秀吉の命令により廃城となった場所だ。
蟻地獄(ウスバカゲロウ)の巣は、里のいたるところにあるが、子どもたちにとって蛇頭館跡の巣には格別感があった。トンボみたいな蟻地獄の成虫だが、空中に出て1~2日で交尾し、産卵すると1か月で一生を終える。ひと夏の命。翅でウスバカゲロウとすぐわかる。比べて幼虫は、鎧で武装した半農サムライを連想する。すり鉢のような巣にもぐって約3年、アリなどの体液を吸う捕食者だ。巣に近寄ったアリは、あっというまに引きずり込まれて餌食になる。敵は蟻地獄の幼虫。働き者のアリに味方して、蟻地獄のすり鉢崩しにかかるのだが、結論から言えばすり鉢は崩れない。埋めようと砂を投下しても、サラサラとすり鉢状が復元される。飽くなき行為を幾度となく。蟻地獄とアリとヒトの小宇宙。子どもなりに生命の連鎖を知る夏の出来事だ。
俳句誌『雛』2025年8月号転載